翌朝、宮崎港へ入港。フェニックスの森の中にシーガイアのドームやホテルが見えている。宮崎港はマリンエクスプレスと共用のターミナルであり、宮崎からも予想外にも乗客が乗ってくるが、阪神からの乗客は宮崎で下船することはできない。昨夜、後を追うように大阪を出港したマリンエクスプレスのフェリーが到着する。足の速さではマリンエクスプレスに軍配が挙がるのだ。
宮崎を出港すると、いよいよ九州を離れ、奄美諸島を南下していく。朝食は乗船前に買っておいたパンですませる。朝食の後、シャワーを浴びる。誰もいないので、一人占めだ。その後、テレビを見たり、新聞を読んだり、甲板に出たりして、時間を潰す。優雅な船旅の始まりだ。
昼食は持参したカップラーメン。レストランは高くは無いが、学生にとっては、毎食レストランでは金銭的にきつい。船内でカップラーメンをすする人も多い。
昼食を終え、乗船時にもらった無料コーヒー券を持って、暇つぶしに、喫茶アムニスへ。喫茶アムニスはレストランの正面にあり、営業時間は売店と同様にランダムな感じで開店と閉店を繰り返している。
船長さんの撮影した写真、大島運輸の各パンフレット、奄美・沖縄のパンフレット、手書きの案内などが置かれ、売店とはひと味違ったというよりも、売店よりも充実した土産物が置かれている。屋久島の焼酎や与論名物のもずくそばなどなど…。
らくがき帳が置いてあり、それらを読むと、この船のあらゆる真実が見えてくる。例えば、夏の繁忙期にはブリッジ(操舵室)見学があることや喫茶店のマスターの人の良さが伺える。しかし、良いことばかりでは無い。台風回避による遅延で沖縄到着が数日遅れになったこと、船が大揺れして今すぐにでも下船したいという願望+悲願+悲鳴のこもった殺気立つ文章。汚い話であるが、トイレでゲェーといってしまった話、この大揺れした船を選んだ自分の苦しさよりも同行している友人の怒りを恐れている文章などなど…。つくづく今回が平穏無事の航海であることを感謝すると共に、笑わせてもらう。多少の白波があるが、ほとんど揺れていない。下手なマンガよりもずっとおもしろい、このノート。
店内は小奇麗で沖縄っぽいBGMが流れ、いい感じ♪
コーヒーはあまり好きでは無いので、紅茶に変えられないかを聞いてみるが、ダメなようで、コーヒーで我慢。神戸ならではのUCCの紙コップに入れられたコーヒーがトレイに出され、砂糖とミルクを自由に取るセルフサービス方式。本来なら、300円。船上価格と考えると、妥当なところか…。窓側の席を陣取り、太平洋を望みながら、ティータイムとするはずが…。
突然、隣のテーブルに座っているおじ(い)さんが声をかけてきた。
何処へ行くのかと聞かれたので、「学生最後の旅行にのんびりと船旅で与論へ」と言ったのが話の始まりだった。そのおじいさん(仮称)I氏は、与論の農家出身だそうで、自分の故郷である与論へ行くという僕たちが気に入った様子。自分のテーブルへ呼び寄せ、喫茶店のマスターに屋久島の焼酎を持ってくるように言った。
その焼酎はいも焼酎であるが、匂いが少なく、非常に飲みやすいものだそうだ。アルコール分は25パーセント。ビールやカクテルといった数パーセントのアルコールしか飲まない本土の人間には、九州南部・奄美・沖縄地方で飲むアルコール度のきつい酒はなかなか厳しい。
しかし、I氏は、与論へ行く僕たちをよっぽど気に入ったのか、せっかくだと、その焼酎を進めてくれた。オリオンビールの紙コップになみなみとつがれ、湯や水で割るわけでも無く、マスターの持ってきた氷が数個入れられただけだ。
焼酎を飲むのは生まれて初めて、ましてや、ここは船の上、こんなシュチュエーションで飲んだらとんでもないことになるとは思ったものの、I氏の強い勧めでぐいっと飲む。う〜ん、かなり飲みやすい。旨いとは思わないが、まずくも無い。あまり酒は飲まないものの、一杯目を飲み干してしまった。これが間違いの種だった。
おじさんに「結構、行けるじゃないか、もう一本」とまたまた出てくる。丁重にお断わりをしたが、「これじゃあ、養子にはいけんぞ」と意味不明の言葉で一喝され、結局頂くはめに…。隣の先輩は、少し目がうつろというよりも、落ち込んでいるというか、へこんでいるというか、マズイ雰囲気。こりゃ、僕が飲むしか無いかという結論に達した。
さて、I氏が焼酎を飲みながらした話は多岐に渡る。与論ではみんな焼酎を飲んでいること、あまりにも肝臓の病気が多いため与論の焼酎はアルコールが20パーセントになっていること、若いころに事故で指を切ったこと、相撲が強く大会で一番になったこと、与論では飲酒運転が当たり前で警官も飲んでいること(どこまで真実か定かじゃないです)、与論にはハブが生息していないこと(硫黄が噴き出す島ではハブが生息できないらしい)、大阪へ出て会社を起こし今は息子に譲っていることなど、数々の武勇伝と共に、与論をこよなく愛している「愛島心」がひしひしと伝わってくる。
船はさらに南下し、うっすらと遠くに見える種子島や屋久島を望みながら、さらに色々な話が出てくる。そして、話の極めつけというよりか、話の首尾一貫して出てきた言葉、「島へ養子に来なさい」という話だ。
話はこういうことだ。奄美の某島の有力人物の娘婿を探して欲しいと頼まれているそうで、そこの養子にどうだという話だ。酒の席の話なので、怪しいものだが、飲んでいる間の2時間少し、ひたすらその話ばかりが出てくる。
「酒が飲めない」というと、「それじゃあ、養子に来れないなぁ、さぁ、飲め飲め」とか「わしの若いころはもっと飲んでいた」とか…。そして、奄美大島へ帰るという別のおじさんもI氏の酒盛りに巻き込まれる。奄美大島のおじさんの話も含めると、この有力人物はこの地方では相当な大物のようで、もし養子に入れば、6兆円の土地が手に入り、また、あちこちのホテルや山が手に入り、一生遊んで暮らせるという。ただし、その人物はめっぽう酒に強く、婿は酒に強くなければならないそうだ。
これじゃ、財産を手に入れても、アル中で死にそうだ。こんな話をしながら、2時間以上の間、ひたすら僕と先輩に「どっちか養子に行くんだ? もったないぞ。こんな話。どうせ、今の世の中じゃ会社に勤めても、給料60万円以上はもらえんぞ! こんな縁談を断ったら、もったいない話だ」という話を60回以上(推定)はマジで聞かされ続けた。
どんな話であっても、「養子」の話に収束するのだ。そして、解放された時、200ミリリットル入りのアルコール度25パーセントの焼酎は5〜6本空けられていた。3人+奄美大島のおじさんで空けたものだが、船の上ではなかなか冒険的だ。ちなみに、途中からミネラルウォーターを買ってこいと金を渡され、水で割っていたが、最後の一杯は、その水のほぼ8割が先輩のコップへつがれ、僕のコップへはあまりつがれていないことを先輩は気づかえる意識レベルでは無かった。
最初は、撃沈して無口だった先輩であったが、ある一線を越えた途端、急に両手を挙げて、陽気になり、回らない口でめっちゃ陽気にベラベラしゃべりだし、I氏に対する敬語もやや崩れ出し、本当に上体がグルグル回りだすし、マジで怖くなり、「大丈夫ですか?」と何回も聞いてしまった。
船上でアルコール中毒なんて洒落ならない。それこそ、鹿児島へ搬送なんて洒落にならん。この船、ヘリの降りるスペースないぞ。あまりにもマンガに描いたような酔い方だったので、これ以上の酒をつがせないようにするための先輩のお芝居かなとも推測していた。しかし、芝居にしては上手すぎる。こんな芸のある先輩でもないし…。芝居だったのか本当に酔っていたのか、真実はいかに…。
当のI氏も回ってきたのか、手が震えているし、先輩がヤバイ状態であることに気づく気配も無かった。ちなみに、僕はまったく酔っていなかったわけでは無い。マスターには「大丈夫か?」と聞かれたが、多少は酔っていたものの、焼酎は悪酔いしにくいことやチャンポンをしたわけでは無く、アルコールの量の割にはそれほど酔わず、I氏のおもしろい話と養子の勧めを聞きながら、心地好く酔っぱらっていた。
ちなみに、帰りのフェリーで情報を収集して判明したのだが、このI氏のお話、すべてが真実では無いそうで、ここでのお話は酒の上での話のようだ。ただ、与論に対する愛情は人一倍感じられ、本当に与論が好きなことがひしひし感じられるおじさんだった。これだけ自分の出身地に愛情を持てることが羨ましい。これは、奄美大島のおじさんからも感じられた。I氏から名刺を頂き、焼酎のお礼を言った後、甲板で奄美のおじさんに会ってしゃべっていると、先輩の異常に気づいていたようで、「寝かしといた方がいいぞ」と言われた。こうして、暇な船旅のいい時間潰しとなり、気がつけば夕方になっていた。
この酒盛りの中である謎が解けた。この「ニューあかつき」の側面に描かれた「A”LINE」という文字。一見、名阪神・沖縄を結ぶ有村産業の「A」と勘違いしてしまう。大島運輸なのになぜ「A」なのだろうか?と疑問を以前から感じていた。
これは大島運輸の成り立ちにヒントがあるようだ。大島運輸の社長は有村栄男氏であり、有村産業とは親戚会社に当たるみたいだ。こうして考えると、大島運輸が有村の頭文字「A」を付けたことが納得できる。ちなみに、ファンネルには○の中にAがあり、ホテルを始めとするあらゆる業種に渡って、グループを持つようで、与論島でもファンネルと同じマークのトラック・商店・商品を見かけた。いわば、この地方の一大グループみたいだ。
17時過ぎ、夕食券の発売放送が流れる。夕食は食堂でということで、僕は530円のカレーライスを、先輩は1050円の刺身定食を注文。メニューはレギュラーメニュー約7種類?に加えて、日替り定食が2種類程度用意されている。
夕食の準備ができたというアナウンスと共に、レストランへ。なかなか小奇麗なレストランだ。R大学の学生がいることもあり、相席となった。カレーライスの味は普通、量は値段が値段だけあり、これもまた普通。本音を言えば、学生にとっては、もう少しボリュームが欲しいところかな。
刺身定食は、ご飯・刺身・味噌汁・肉の塊(ソーキみたいなもの?)で、まずまずだった模様。少し物足りないなぁと思っていると、隣の子供連れのおばあさんが食べきれないのか、カラアゲをくれる。相席となったR大学の学生と分けて、頂いた。ちょっと脂っこいので、船の上の食事としてはやや辛いかも…。
ちなみに、レストランから出る時に、ちらっとI氏をみかけたが、また飲んでいる模様だった…。おそるべし、鋼の肝臓。
定刻の21時から約20分少し遅れて、奄美大島の名瀬港へ入港。名瀬市はそこそこの街なのか、背の高い建物も多く、明かりも多い。パチンコ屋も見える。もちろん、都会と比べると、おとなしいネオンだ。
酒盛りの時の奄美大島のおじさんに簡単な島の解説をしてもらいながら、甲板で名瀬の夜景を見る。おじさんは、名瀬から車で1時間ほどの瀬戸内町へ帰るそうだ。ポツポツと雨が顔に当たるものの、名瀬の風は大阪と違い、南の島へ来たことを実感させるように暖かかった…。
名瀬では意外にも多くの乗降がある。この船が阪神と奄美・沖縄を結ぶ貨物航路であると共に、離島間の交通手段になっていることを実感する。与論入港は予定では明朝5時。若干遅れる見込みだが、早めに床につくことにした。
今夜もR大学の学生はうるさかった。「何度も同じことを言うおじさん」とか「養子」とかいう大声が聞こえてくる。どうやら、I氏にひっかかった模様である。いつの間にかまどろんでいた…。